こんにちは、りんのすけです。

突然ですが、あなたは「寄付」ってしたことありますか?

分かりやすいところで言うと、緑の羽や赤い羽根。

りんのすけ

キツネとタヌキじゃないよ(^^)

昔は街頭で、学生が募金箱を持っていたのを覚えている方もいるかもしれません。

最近では現金だけではなく、フードロスの取り組みで食料品を寄付として受け付けているのも目立ちますよね。

このように寄付にもさまざまな形がありますが、実はわたし、6年ほど前から現金での寄付を継続しているんです。

アフィリエイトで稼ぎたいと考えた52歳のオヤジが、なぜわざわざお金を出す、寄付という行為を継続することになったのか。

今回はそんなお話です。

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偽善者でOK!

最初にきちんと断っておきますが、今回の話は「いい人」アピールではありません。

私はアフィリエイトで稼ぎたいと野望を持っている金の亡者。

正直に告白すれば、ネットに転がる「ブログで月収100万!」みたいな甘い汁を吸いたくて、鼻息荒くキーボードを叩いている凡夫である。

決して高尚な人間ではない。

これまでの記事を読んでくれた人なら分かるはずです。

その辺の前置きはこの程度にして、実はわたし、6年ほど前から、某NPOに毎月1,000円の寄付を続けています。

一回きりの寄付ではなく、毎月クレカ引き落としで引かれていくガチの寄付です。

寄付先のNPOは、キャンプなどのアウトドアを通じて、子どもの自立支援に繋げるというのが大きな目的の団体。

いくつかの候補に絞り、最終的にこのNPOに決めました。

なぜこのNPOにしたのか?

わたし自身が家族でキャンプをやるので、目的そのものが身近に感じられた、というのが一番のポイントです。

「世界の貧困」、などというテーマはもちろん必要だとは思いますが、わたし自身には大きすぎるテーマで、寄付するという行為に実感が湧かなかったというのもあります。

なお、毎年必ず活動報告書が送られてきて、メールでも活動案内が届きます。

寄付して終わり。

という投げやり的なものではなく、きちんと活動を確認できるというのも良かったです。

りんのすけ

それ自体は結果論だけどね。

これは勝手な偏見ですが、日本人は寄付という行為に少なからず抵抗があるようにも思えます。

「なんとなく偽善者っぽい」

そんな風に感じたことはありませんか?

わたし自身も同様で、6年経った今でもその感情は消えていません。

しかし、偽善者なら偽善者で良い

今ではそう考えるようになりました。

決して汚れたお金を寄付しているのではありません。

きちんと働いて得たお金を寄付しています。

その上で、偽善者なら偽善者で良いという感情が生まれました。

山あり谷ありの52年の人生で、突然湧き出てきた寄付という行為。

これには、白も黒も、正義も悪もありません。

りんのすけ

強制するものでも、されるものでもないよね。

当時のどん底とガネーシャの課題

過去記事にもありますが、わたしは11年ほど前に転職に失敗し、2年ほどブラック企業に勤務していました。

しかし、幸いにも今のバス会社への再転職に成功し、そこから数年が経過。

ようやく生活に落ち着きを取り戻した頃のお話です。

心の余裕を取り戻したわたしは、一冊の本を手に取ります。

それは、水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ』

りんのすけ

ぶっちゃけた話、金儲けのヒントを得るために読みました。

「これで俺も億万長者や!」

と、期待に胸を膨らませてページをめくった僕に、あの変な関西弁の神様が放った声は、

「収入の1割を寄付しろ」

だった…..。

りんのすけ

正確には募金だけどね。

いや、増やす方法を知りたいのに、なんで最初に減らさなあかんねん!

という理不尽な絶望。

それが僕と「寄付」の再会だった。

ちなみに、『夢をかなえるゾウ』というのは、ガネーシャ(インドの神様)が、迷える子羊(主人公)にさまざまな課題を与え、人間として成長させるという物語です。

あの時欲しかった「誰かの手」になる

実はこの本を読むのは、この時が2回目。

一回目はいつ読んだのかも覚えていませんが、何ひとつ実践しなかったことは確かです。

啓発本は世にいくつもありますが、読んで終わり、読んで満足。

それがこれまでの私でした。

りんのすけ

読んでる意味ないよね(^^;;

しかし、この時の私は、多少なりとも心に余裕があったのは確かです。

あらためて読み直した時に、

「寄付か…..」

と、考え込みました。

これまでの私は、寄付というと、緑の羽等の募金箱に小銭を入れる程度。

一過性で継続性はなく、もちろん寄付先が何をやっているのかなどは考えたこともありません。

ですが、不思議とこの時ばかりは「寄付」という言葉を真剣に考えました。

そもそも億万長者でもない私が寄付などと、上から目線でおこがましいのではないかとも思いました。

でも、あのどん底の時、もし誰かが手を差し伸べてくれたら、どれだけ救われただろう?

今の私には、あの時欲しかった『誰かの手』になる、ほんの少しの余力があるんじゃないか?

いや、この程度の余力は作る必要があるんじゃないか?

数々の啓発本を読んでは無視してきた私は、今回ばかりはガネーシャの課題を、一過性のイベントで終わらせたくなかった。

何かひとつでいいから実行しようと考えていたのです。

私は初めて「寄付」という言葉を検索し、某NPO団体に辿り着き、毎月1,000円の自動引き落としを設定したのです。

りんのすけ

何気に使う1,000円が、非常に重く感じました。

なぜ「1,000円」なのか|なぜ「継続」なのか

寄付というと、企業やお金持ちの個人が多額の現金を寄付する。

あるいは先述したように、募金箱にお金を入れる。

そんなイメージが個人的には強いです。

ですが、今回の私が考えていた寄付は、継続性のあるものでした。

一回きりの寄付ならば万単位でもいいのですが、それは今の自分にはあまり意味がないと思いました。

理由は分かりませんが、継続することが大事だと思ったのです。

そこで問題なのが金額。

いくら若干の余裕ができたとしても、毎月一万円はきついです。

自分の生活を壊してまで寄付をする必要はないと考えているからです。

あくまでも余裕を作れる部分でなければいけません。

そしてたどり着いた結果が1,000円という数字でした。

さまざまな考え方があるかと思いますが、現在の自分が無理なく捻出できる絶妙な金額、それが1,000円です。

毎年12,000円、これまでの6年間の合計は72,000円になります。

ここまでくると、決して大金ではありませんが、小さな金額でもありません。

毎月、引き落としの通知が来るたびに、私はこう思います。

塵も積もれば山となる。

間違っても1,000円を塵とは思っていませんが、山の一助にはなり得ているのではないか?

こう思います。

りんのすけ

まあ、確定申告でちゃっかり税金戻ってくるんやけどな(笑)

これは、僕の人生の「おまもり」

寄付という行為にもさまざまな考え方があるかと思います。

冒頭でも触れましたが、誰かを救うなどという高尚な考えを持っての寄付ではありません。

私の場合は、子供たちにお菓子を買ってあげる。

その程度の感覚です。

そして、そのお菓子で子供たちが喜んでくれれば、それは私の心の平穏につながります。

顔も見たことのない、名前も知らない子供達へ、キャンプ場で食べるお菓子代としての1,000円。

今月も引き落としの通知を見ながら、

「今の自分は悪くないな」

こう考えています。

りんのすけ

キャンプでのお菓子は最高だぜ!

【ワシの課題、自分も一つくらいやってみる気ある?】