こんにちは、りんのすけです。

以前の記事で書きましたが、私はエッセイなるものを読んだことがありませんでした。

そんな私がエッセイを書き始めてしまったので、一冊くらいは読む必要があると思い、本屋に足を運ぶ。

前回はこんなお話でした。

そして今回は、そのエッセイを読んで、気づいたことを書きたいと思います。

りんのすけ

実は途中で飽きました。

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「売り物になるのか?」という11年目の傲慢

まず本屋で迷子になった挙句、エッセイなど選び方も分からない。

そんな私が手に取ったのは、虚弱に生きるというタイトルの本。

作者が誰なのかも分からないし、なんなら興味もない。

そもそもタイトルに惹かれたというよりは、本のカバーについている帯に惹かれたので手に取ったというのが正直なところ。

その帯には「サバイバルエッセイ」と書かれていました。

私はキャンプをやるので、サバイバルという言葉に惹かれたのです。

りんのすけ

さすがに安直じゃね?

パラパラとめくってみましたが、なんとなく健康問題を扱っているんだろうな、とは感じました。

私自身も血圧や運動不足の問題を抱えているので、ちょうどいいかも。

こう思い、購入に至りました。

本屋に平積みされていなければ、きっと存在すら知らぬままだったと思います。

そして同時に、これが売り物になるの?

という、疑問も浮かんできました。

どうやらSNSで話題になったものを書籍として販売しているようなのですが、ブログを書く際、「自分語りは悪」と思い込んでいた自分にはなかなかに刺激が大きかったです。

そして、この本は「誰かの役に立つ」という前提ではなく、「共感してもらう」ことを前提で書いているのかな、とも思いました。

これまでの私にはなかった概念です。

エッセイの「エ」の字も知らない私が、AI(ジェミニ)に言われるがままにエッセイを書き始めましたが、ひとつ知識が増えたのかもしれません。

正当防衛の自分語り

読み進めるうちに気付いた圧倒的な違和感。

最初こそ自分語りがエッセイなんだろうと思って、違和感なく読んでいました。

が、その「自分語り」が延々と続く違和感。

違和感がないと言いながらも感じる違和感。

りんのすけ

どっちだよ。

そこには「おすすめグッズ」も「効率的なライフハック」もない。

あるのは、最初から最後まで一貫した作者の「自分語り」だけ。

実は、中盤あたりで猛烈に飽きた。

他人の「体調が悪い、疲れた」という愚痴を延々と読まされているわけだから、よっぽど本を閉じようかと思ったほどです。

「金払って、なんで他人の体調不良に付き合わされてるんだ?」

ここまで「自分語り」が続くと、「もういいよ」。

みたいな感情を持ってしまいました。

しかし、これは自分のエッセイには必要な要素であると言い聞かせ、とりあえずは最後まで読了。

そして最後まで読んで感じたことは、まさに「共感」なんだろうという一言です。

今回のお話は、虚弱体質で生きる作者が試行錯誤を繰り返しながら、なんとか日常を生き抜こうというサバイバルエッセイ。

私は本で書かれているような体質とは無縁なため、「疲れた」だの「調子が悪い」とか言いながらも、ある意味無難に日常生活を送っています。

しかし、作者である「絶対に終電を逃さない女」さんは、それすらままならない。

世の中にどれだけ同じような方がいるのか分かりませんが、きっとそれらに類する方々に「共感」を得たからこそ、本を出版するまでになったのでしょう。

私には特別な技術や知識はありません。

良くも悪くも平々凡々と過ごしている、大多数の「その他」に類する人間です。

でも大多数の中にいるからこそ、もしかしたら「共感」を感じてくれる人はいるのかもしれません。

知識もないのに、「知ったかぶり」で誰かの役に立つ情報。

こんなものを追い求める必要はなく、自分を語っていく中で、それが誰かにとって必要な情報なのかもしれないし、誰かの共感を得られるのかもしれない。

そんな風に感じた一冊であることは間違いありません。

りんのすけ

まぁ、一冊しか読んでいないけどね。

これまでの「失敗ブログ」の正体

これまでの私のブログは、「誰かのため」という仮面をかぶった、中身のない「情報もどき」だということを、あらためて実感しました。

得意なフリ、知っているフリをして、それっぽく記事を書き上げる。

ある意味では記事の見栄えは良くできたのかもしれませんが、それは中身のない、実態を伴わないものでした。

でも、チャレンジしたことは間違ってはいないと思っています。

ただ、少し遠回りの時間が多すぎたのではないかという反省はあります。

これは決して、いま書いているエッセイが成功しているという意味ではありません。

このエッセイでは、少なくとも自身の体験や知識をもとに、悪と定義していた「自分語り」をしています。

どれだけの人が共感してくれるかは未知数ですし、誰も共感しない可能性の方が高いです。

ですが、意味もないプレッシャーを感じることなく、思うままに、自分の気の向くままに書けているという事実は、私を救っているかもしれません。

エッセイとは、潔く自分をさらけ出すこと。

共感されるか、それとも「なんだこいつ」と切り捨てられるか。

その先に何があるのかは分かりませんし、何もないかもしれません。

でも、意味不明な仮面をかぶって書いている記事と、いまの記事は、質量が違うというのは実感できています。

りんのすけ

実際に書けることと、それっぽく見せることは大きな違いです。

52歳は100%の俺を差し出す

ハッキリ言って、このブログ(エッセイ)は、誰の役に立つものでもないし、もはや誰かのために書いている物でもない。

ある意味では悪の道に走り、「自分語り」に目覚めたのかもしれない。

虚弱に生きるという書籍は、これからも堂々と「自分語り」をしていけるという裏付けが取れた一冊でもありました。

もはや、52歳にもなって何かを恥ずかしがって隠すような、綺麗な裏方でいる必要なんてない。

これからは堂々と、100%のオレを読者の前に差し出して、生々しく晒し合って生きていく。

誰の役にも立たなくていい。

私の放つ「自分語り」に、もし万が一、誰かがクスッと笑って共感してくれたなら、それだけでこの11年の遠回りは大正解だったと言える。

りんのすけ

ダークサイドに堕ちたな(笑)

【虚弱に生きる:絶対に終電を逃さない女】